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この大会は日本プロサーフィン連盟(JPSA)が国内外の各地で開催する最高峰のプロサーフィン大会である。それぞれのカテゴリーによって年間グランドチャンピオンが決定する日本においてプロサーファーには重要な大会なのである。その重要な大会が2005年6月4・5日の2日間に渡り太東海岸にて開催されたのである。
日本のサーフポイントの中でもロングボーダーに適した波質をもつ太東において最初のロングボードのプロ大会となった。
ロングボードの大会にはプロクローズド形式(05'は年間4戦)とプロアマオープン形式(05'は年間5戦)があり、後者である今大会はロングボード公認プロライダーとアマチュアライダーとが入り交じり技と技を競い合う形式の大会であった。
そして、小川徹也にとっては、まさにホームでの負ける事の出来ない重要な大会もであった。 |
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今回の大会は複数のイベントが9日間に渡って行われるSURF TOWN FESTA内で行われた。2日間に渡り開かれたこの大会には、1日目1,500人、2日目2,000人とのべ3,000人もの観客が集まった。多くの観客の中で総勢190名(プロ75名、アマ115名)のサーファー達が競い合い、最終ヒートまで勝ち抜いた「ユージン・テール(04'総合7位)」「小川徹也(04'総合29位)」「中村清太郎(04'総合19位)」「松山欣則(04'総合2位)」の4人の中からユージン・テールが見事優秀を勝ち取った。小川徹也は、残念ながら準優勝におわった。 |
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「それ以上その話に触れないで!」それが小川徹也の第一声だった。私が徹から大会の話を聞けたのは試合が終了しから二日後のこと、Tany Surf Classicのショップで話を聞いた。
第一声の後に続くのは「出来てない!」「もっとピークからフェイドターンで!」「本来ならもっとちゃんとしたノーズライドが!」と次々と厳しい言葉が続く。徹は笑ってはいるもの心の中は悔しさでいっぱいの様子が心底伝わってきた。
彼は「勝たなければならない立場」だったのだ。
私は、徹と会う前に大会関係者たちから大会の様子を伺っていた。それによると当時の状況は小川徹也VS全員という程、徹のパフォーマンスが太東のブレイクにマッチしており、クォータファイナルでは自分が持つ8.75の[なみある賞]も9.25というポイントで塗り替えてファイナルまではぶっちぎりで通過してきた。誰もが優勝を期待せずには居られなかったと言う。しかし、皮肉にもいつも練習を積むホームポイントでファイナルは波運に見放された。
その後観たビデオでは、優勝したユージン・テールのダイナミックなサーフィンは2戦連続優勝する実力を証明していた。小川徹也はスムーズで「 ピシッ!」とした対照的なライディングだった。リラックスした中にも「気」を感じるノーズライドはやはり小川徹也だった。余談だが、THE FACTORY(サーフボード工場)には鳶だった頃の彼の梯子(ハシゴ)乗りの雄姿が飾られている。これがハンパなくカッコイイ。徹のバランス感覚の良さは「ここがルーツ?」と感じてしまう。彼が太東である試合に相当の決意を持って望んだのは誰が会っても判るだろう。使命が残った。来年を楽しみにしたい! |
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私は最後に彼にこう尋ねた「徹、 きっと普通はここで今年はグランドチャンピオンとか狙ってる?とか聞くんだよな?」と聞くと「ズゴーン」って書いといてだって?(笑)。本人からは自分は選手として試合に出ただけ、板を作ってくれるファクトリー、練習する時間を作ってくれたSHOPスタッフなど周りの人達、大会を企画してくれたサーフィン業組合に感謝しているとも話してくれた。
JPSAでの成績はプロ合格年(2002)に優勝は経験済み、それから準優勝は3回目になる。次は優勝でなければ満足しないはずだ。 |

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